介護士の本音と日常

41歳が考えた事、感じた事を書くだけです。なにか発見があるかもしれない。

『ITの活用、いろいろ便利になるほど、コストやお金がかかるようになる?』

 何の根拠もない話だけども。

 

 IT技術の利用で色々と便利になっているように感じます。僕たちが抱えてきた面倒だったことを肩代わりしてくれています。

 

 という事は便利になった分のコストや時間をかわりにやってくれるということ。なのでお金がかかります。これは気が付かない所でかかっています。

 

 便利になったぶんコストやお金がかかっている。一見して便利になってお金もかからないとおもって裏側でかなり使われているのじゃないかということ。

 

 そりゃモノの値段もあがるし、商品の内容量も地味に減っていくよなと少しおもいました。

 

 接客業でもおもてなしが豪華になったり、派手なパフォーマンスを始めれば値段もあがる。どんどんと手が出なくなる。売れなくなるから余計に値段も上がる。

 

 なんだが、ネガティブなことばかりなのは気のせいだろうか。

 

今の世の中の構図イメージ↓

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富裕層

隠れ貧困層(富裕層に見える)

貧困層

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『PASMOの払い戻したらどうなるか、手数料とかの話』

 何枚かPASMOを持っていたので払い戻しをしました。何年か前から払い戻し手数料がかかるとのことでどれくらいかかるのかためしました。手数料は220円かかるのでデポジットからも引かれると思いましたが違いました。

 

 定期の窓口にPASMOをもっていきます「払い戻ししたいんですが」と言って身分証(免許証等)を見せます。書類に名前、電話番号などを記入しその場で処理が完了して手続き終了です。

 

 ①カード残高  120円

 ②デポジット額 500円

小計       620円

 

 ④払い戻し手数料120円

 

合計       500円

 

 

 カードに残っていた分は手数料として引かれ、カード本体の500円が戻ってきました。本来の手数料が220円なのでデポジットから100円引かれて400円になるのではと思っていたらちがいました。カードの500円というのは動かないそうです。

 

 ということは、カードに10円だけのこっていても、手数料は10円という事になるとおもいます。カードに沢山のこっていている時は220円を引かれるみたいです。

 

 2008年3月に発行した17年前のカードでした。

 

 窓口によって違う事はないとおもいます。

 

『財布の小銭を整理する簡単な方法』

 財布にいつの間にか溜まっている小銭。1円、5円、10円ですね。

どうしたら整理できるのかというと、レジに置いてある募金箱に入れてしまう事です。

 

 おつりをもらった瞬間に1円、5円で戻ってきた分はすぐに募金箱に入れてしまいます。そうすると、小銭の整理もできるし、募金もできるということです。

 

 10円を募金するか少し考えてしまいますが、パッと入れてしまうとスッキリします。募金をして少しは良い事をしたと思える気分も買う事ができます。

 

 小銭で帰ってくる分はせいぜい100円未満ですのでそこまで負担にはならないはず。

 

 世の中はキャッシュレスが多くなっています、特にクレジット使用だとお金があると思いがちになります。現金での買い物に半分位戻してもいいんじゃないかとかんがえています。見える方が不要な買い物をしなくなるようにも感じています。ポイントがたまるとは言っても、ポイント以上に買い物をしたら意味がないですからね。

 

『モノを捨てても、モノがあった事すら忘れるから大丈夫』

 年末年始でモノの整理をやって、新たな気持ちで新年を迎えようと思っている方も多いはずです。

 

 整理を始めたのは良いけども「やっぱりとっておこう」「つかうかも」なんて考えて結局捨てられない。

 

 そもそも、片づけてから見つけて思い出したモノであれば、もともと無かったようなモノではないでしょうか。

 

 代わりになるものがあるのであれば、パッと手放してしまった方が良いと思います。

「つかうかも」はほぼほぼ使いません。捨てましょう。

 

 ただ捨てたら後悔するかもしれないのは代わりが無いモノです。子供の100日記念の手形などでしょうね。

あらかた捨てて後悔しそうなものは置いておく。しばらくして見直して必要ないと感じたら捨てる。

一気にやろうとすると心の負担もあるので毎日少しずつ整理していくのは本当はいいですね。とりあえずもらってきたパンフレット。役所からもらった情報誌なども捨ててしまいましょう。

 

 僕もモノを捨てられないタイプです。

でも、サッと捨ててしまう。そうするとモノがあった事の記憶も薄れていくのです。その分別の事に心も使えます。

 

 それぞれの生活スタイルにあった整理を出来るといいですね。整理をすることが流行っているからバッサリ捨てすぎないようには注意です。

 

『僕たちはスマホという技術の檻に囲まれているのかもしれない』

 今の僕の考えです。少し前まではAIやスマホには可能性があると思っていましたが、とらえ方が変わってきたのかもしれません。

 

 スマートフォンの出現によって人の生活は大きく変わったようにおもいます。もちろん過去の発明で生活が一変したモノも多く存在しているとはおもいます。

 

 何かがきっかけで、生活を一変させるという事は別の考え方をすると、ある檻の中に囲われてしまいどんどんと可能性を狭めてしまうのではないかとふと考えました。

 

 広い檻に囲まれた中での発展であればどうしても内向きになっていきます。檻の中がどんどんと狭くなっていってしまいます。可能性が広がると錯覚しがちですが、可能性の輪はどんどんと狭くなります。

 

 はたして、終着点には何が待っているのかです。僕にはわかりません。スマホという檻から一歩抜け出すことで別の考え方が生まれるようにも思えます。

 

 懐古主義な考え方なのかもしれません。ただ、何となく世の中が今のままで良くなるのかと思うと少し疑問を感じました。

 

 なぜこんな事を思ったのか。僕の仕事は介護です。介護の仕事は対人の仕事です、介護の記録もデータで入力します、データはAIにも活用されます。でも人の気持ちや行動をAIが対処できるほど単純なものなのか、ということです。データを記載することでその人の事をより知るきっかけにはなりますが、人のことをAIに決めてもらうというのは、ちょっと違うかもしれないと感じたのがきっかけです。

 

『「グリーフケア」についてのメモ』

 以前にグリーフケアについて講習を受けたのでその時のメモの雑記です。紙にメモを残しているだけになっているので少し思い出しながら書き写しています。

 

 グリーフワークをケアするのがグリーフケア

 悲しみに寄り添い支えていく

 

  • グリーフワーク

 心と向き合う作業

 

  • 喪失とは死というモノを連想しやすいがそれだけではない

 物理的:死、所有物、体の一部

 心理的:社会生活、退職、

 

  • グリーフの強さ

 ・強いられたもの(自分の意図とは無関係)

 ・自ら引き起こしたもの

 ・それぞれでグリーフの大きさ、感じ方によって対応のしかたが変わる。

 

  • グリーフ反応には色々ある

 精神的反応

 身体的反応

 社会的反応

 

  • グリーフとの距離

 グリーフは時間と共にみえにくくなったり、うすくなっていくだけ

 グリーフを乗り越える必要はない

 

  • 遷延性悲嘆症

 専門家へつなげる→自殺念慮

         →依存症

 

 寄り添い共に歩む同伴関係。半歩から一歩後ろを歩むこと

 

  • 喪失の疑似体験 ※思い出して書いているため少し違うかもしれない。

 ①付箋を8枚

  A4にタイトル「私の大切な人・もの」、枠を1つ大きく紙いっぱいに書く

  小さな箱を準備、

  封筒

  ペアで隣に座る

 ②その8枚に大切なモノを書く

(具体的なモノ、コト、ヒト、体の状態。

 子供なら具体的に長男なのか、次男なのか。健康なら誰のどんなこと)

 ③書いたものの中から1つ選んで、そのまま箱へ入れる

 ④さらに、1つを選んで、折ってから箱へ入れる

 ⑤さらに、2つを選んで、破ってから箱へ入れる

 ⑥さらに、ペアの人へ内容は見えないように1つ渡して、破って箱に入れる。

 ⑦のこった3枚が、今のあなたにとって大切なモノ

 ⑧その3枚を封筒にいれて持ち帰る

 

  • 思い出したこと、感想など

 グリーフケアというのは、イメージはつかめるがとても時間のかかる事かもしれません。僕の場合には結婚、離婚、父親との死別、子供と離れたこと等々が3年位の間に一気にやってきました。一つ一つを考えて、向き合ってきたと思います。父親との死別については、もともと病気で長くないかもしれないという心の中でゆっくりと長いあいだかけて、心の中で整理をつけていたのでそこまで大きな衝撃はありませんでした。

ひとそれぞれで向き合い方や深さがちがう、向き合う時間の長さも色々とあるとおもいます。生活にいっぱいで向き合うのを忘れてしまう事もあると思います。

 誰かに話すことで向き合える時もあるし、書くこともいい、ぼーっと考えてもいいとおもいます。

 

『何となく目にしている広告に行動が動かされている』

 僕たちの生活の一部になってしまったスマートフォンです。iPhonが出てから16年位が経ったのでしょうか。当時の僕はIT系の仕事をしていたのでいまいち乗り気はしなかったけどもiPhon3Gsに手を出しました。普通の携帯との二台持ちをしていましたね。当時もアンドロイドスマホがあったのかは正直覚えていない。かなり記憶はあいまいです。

 

 ちょっと前まではそこまで広告がバンバン出ていたりしなかったように記憶しています。パソコンのバナー広告とかありましたがそこまで広告が幅をきかせてはいなかったようにかんじます。まあ、一覧の中に広告が混じっているとかはあったようなきがします。

 

 ツイッターの初めの頃は広告は流れてこなかったけど、今は広告を消したいなら有料にせよ、という感じです。

 

 僕たちは知らず知らずに広告を目にして、それが頭の片隅にのこっていて行動を促されている事があります。自分では意識はしてなくても、ふと見た飲み物の広告が頭にのこっていてついつい買っているという事があるでしょう。

 

 アプリをけしたり、ブックマークを整理したりしているといかに周りに影響を受けて生活をしていたのだと感じるようになりました。分かっていたけど気が付かないふりをしていたのかもしれない。

 

 そういう生活も楽しいですが、何だか悔しい。誰かに動かされすぎている。自分で選択したと思いこまされているのかもしれない、陰で後ろから操られている。

 

 色々な影響を受けて人は生きているので否定はできません。今の時代はいかにして情報を選択していけるかが大切なのかもしれません。

 

「多くの情報から必要なモノを見分ける」

「入ってくる情報を根本的に減らす」

 

 自分のメモや日記をよみかえすと本当に自分の考えなのか、それとも映像で観た事を模倣していたのか分からなくなります。得る情報を遮断して自分の考えと向き合う時間も必要かもしれません。

 

『ビールはやっぱり「オリオンビール」』

 ビールなのか発泡酒なのか僕には明確な区別はわからない。確かに発泡酒は寝起きに何だか頭が重いけど、ビールの場合は大丈夫と言う程度です。

 

 アルコールなのか原料なのかは分かりませんが、しっかりしたものは何かが違うのでしょう。アルコール自体が健康には良くないですが、そこそこ良いお酒を飲んだ方が体の為だをは思います。

 

 じゃりン子チエでも「安い酒ばっかのんでると、頭馬鹿になるで」とチエちゃんは行っていました。あながち間違いではないような気もしています。

 

 ビールを色々と飲み比べで飲みやすくて自分に合っているなと感じてたどり着いたのが「オリオンビール」でした。エビス、サッポロ、キリンでもありませんでした。

 

 沖縄という地名も気持ちの面でも大きいのかもしれませんが、飲みやすさがだんぜんちがいました。甘いんですかね、ちょっとわかりませんが。沖縄の血が流れているから遺伝子的なモノもあるのでしょうか…謎です。

 

 という事で僕のお勧めのビールは「オリオンビール」ですね。

 

 

 

『ジブリ作品との出会い 「ハウルの動く城」 のろいって何?』

 ハウルの動く城をまたみました。何度観たのか分からないですね。再生しっぱなしだったり、気分に任せてって感じです。真剣に観たり、眺めたりです。他の作品の合間にみたりです。

 

 この作品で出てくる「のろい」って何だろうって少し考えました。呪いは他人から受けているモノ。作品中もソフィーは荒れ地の魔女に呪いをかけられて、年老いた姿になります。荒れ地の魔女も「のろいの解き方はしらない」といっています。

 

 物語中は何度もソフィーの姿が戻っていたり、はじめよりも徐々に若返っているようになります。そんな姿を見ると、呪いというのは結局は他人からかけられているモノよりも自分自身がかけているモノが他からのちょっとしたきっかけで表に出てきてしまっているのかもしれません。

 

 ソフィーの心の内にあるものが、知らず知らずに自分自身にのろいをかけていた。家の仕事のこと、自分の容姿、育ち、家庭環境など色々な事がのろいの根幹にあるのかもしれません。

 

 僕ら自身も知らず知らずのうちに自分自身にのろいをかけていて、自分自身を見失って、本当の意味で自分の事を自分で決められず、自由には生きられくなっているのかもしれません。

 

 もしかすると、のろわれたままの方が幸せであったり、自由と感じるかもしれません。

 

 ソフィーの気持ちに少し寄り添って作品を観たようなきがします、次に見るとまた別の見え方になるかもしれません。

 

 愛や恋はこの作品の肝では無いように思えますね。

 

 

絵コンテはまだ買ってない。

 

 

『Amazonアプリを消してから約2週間たちましたが、特に困っていません』

 アプリを消してから約2週間位たちましたが特に生活には影響はありませんでしたね。むしろ気になるアプリがない事で少し開放された気分になっています。

 

 対して買い物もしないので今の僕には不要なアプリでした。アプリを入れていたこと自体を忘れていました。投稿した記事をみていて「そうか」と思い出すほどです。

 

 スマートフォンは便利な機械ですが、時間を費やしてしまう機械でもありますね。触れない時間は本を読んだりと別の事に時間を使ったり、ぼーっとする時間を過ごしたりと贅沢な時間を過ごせていると思うようにしています。

 

 スマホには依存していないと思っていましたが違っていたようです。便利なモノとの付き合い方はこれからも見直していきたいとおもいます。

 

 何を大事にしていくかは自分次第です。

宮崎駿さん曰く「大事なことは、たいてい面倒くさい」そうです。逆に考えると面倒くさくないものは、大事なことではないのかもしれませんね。

 

『日々の生活を大切にすることが幸せかもしれません』

 ここ数年で沢山の経験をしました、良い事(楽しい事、嬉しい事)、悪い事(嫌な事、辛い事)どちらもです。

 

 正直なはなし、悪い事の方の割合が多かったとおもいますがその中にほんの少し良い事があったんだなあと思います。日々の生活を繰り返し、面倒だと思いながらも細かい事に出来るだけ手を抜かず、自分なりに整った生活をしてこれたとは思います。

 

 人それぞれで幸せだと思う事は違います。僕にとっては日々の生活をしっかりと積み重ねていくことが幸せなのかなあとおもいました。

 

 本当にささやかなことです、お風呂は毎日ちゃんと掃除、シンク周りの水はふき取る、洗い物をする、洗濯をして干して乾いたらちゃんと畳んでしまう。他の人に言わせたら当たり前という事を続けられることが幸せなのかもしれません。

 

 結婚生活で苦戦しながらも身に付けた事です。結局は元妻には感謝をしています。離れてやっとわかるありがたみかもしれません。一緒に生活したことで失った事も多かったかもしれないけども、得たものや変わった事もおおかったです。

 

 まあ、元妻との生活に辛抱できなくなってしまった僕の落ち度ではありますが、離れることで過去の出来事の意味は変えられたかもしれません。実際に渦中にいる時は考える暇もないくらいでした。離れた時期も良かったかもしれません。

 

 残っているのは子供との関係だけです、これも焦らずに向き合っていければとおもっています。

 

 

改修前の柴又駅前の風景です。広場になっていたので時期になると催しをやっていたりしましたね。

 

DVD『ジブリの本棚』を観て。本の事よりも自分の事を考えた。

 「楽しむための本、学ぶための本がある」と宮崎駿さんは話をしていた。その言葉を耳にして思ったのは、1人の子供の父親としてジタバタしているだけなだろうなと感じました。

 

 そばにいて一緒に暮らすことは出来ないけども、父親として何が出来るかと考えたけっか、僕自身がおもういい大人になるために行動をしているのだけだ。

 

 独身の時には単純に自分だけの為に勉強したり、スキルを上げたいと考えて行動していた。結果としては本は読む機会は増えるけども、部屋は荒れていく、何だか生活を大切には出来ていなかった。

 

 結婚して他人と生活をして、色々と感じる事や学ぶことも多かった。他人と暮らすというのはこういう事なんだと実感をしました。ただ、僕の場合は少々特殊な結婚生活だったのかもしれない。

 

 今こうやってブログで書き出しをしているのも、結婚して子供ができて、離婚までしたからかもしれません。本当に人生何が起こるかわかりません。

 

50冊を厳選して紹介している本もあるようなので、追っていって読んでいくのも良いかもしれません。

 

 

↑は非売品の本のようです。50冊の推薦文は岩波新書の方にも書かれているようです。まだ手元には無いので詳細は分かりません。

 

 

『モヤモヤを解消するために、ふと考えた事を思い出すために書き出す』

 以前の訪問介護の仕事を辞めて、施設介護の仕事に戻りました。その間に色々と思ったり、考えた事が色々あった。あとで思い出すだろうと考えてそのままにしていたのですがそれがモヤモヤと頭の中に残ってしまっています。

 

 時間をとって紙に書きだしているけども、どうしてもメモが取れない事もあるし、いいやとなっている内容も多いです。今の時間を使ってふと考えた事を思い出しておきます。モヤモヤの固まりなので特に得する情報はないと思うのですが頭に残しておくことは良くないのでここで整理します。

 

・文章の書き方は『あまり』『もっと』と言った曖昧な表現は入れすぎない方がよい。

・自分には外で回っている仕事はムリ、寒いのはムリ

・転職を繰り返すことはデメリットでもありメリットでもある。新しい環境への適応力が付くのが繰り返しのメリット。

・きつい仕事を経験していると、他に移ったときに大したことないと感じる可能性もある。

・仕事の経験や知識は無駄にはならなくて、新しい仕事をした時に他の事に集中できる。介護であれば基礎的な技術を身に付けていれば他の職場でも介護技術以外の仕事のスケジュールや対象者の把握等の個別の問題に集中しやすい。

・慣れた環境にいるのも、余計なストレスと受けないメリットだが、新しい所での適応力や動けるような思い切った行動がとりにくくなる。

・家庭環境や個人の状況が落ち着くまでは環境はムリに変える必要はない。

・個人の目標が明確だとそれなりに行動がぶれにくくなる。周りの事を気にしなくなる。僕はケアマネが一時のゴールとしているのでそれに向かっていける。他人が何といおうとぶれない。

・ケアマネ以外の勉強は置いておこうと思えるようになった。

・若いころは、英語もパソコンスキル、その他の資格など目移りしてばかりだった。何だか焦っていたように思える。40代になって20代後半の頃は何でそんなに焦っていたんだろうと思い返せる。

・少ない事に集中しておけばよかったと反省できた、あれもこれもは出来ない。やらない事は思い切って切り捨てるか、保留に詰め込んでおく。まあ、保留にしている時点で頭にはモヤモヤとして残ってしまうのでバッサリ捨てる方が良い。捨てても後から出会う事にはなる。

・新卒の方たちとは考え方やモノの価値観が違うように思えた。人生経験の差なのか生まれた時代の違いなのかは分からない。休日だったり自分の時間に対してより価値を感じているような気がした。

・介護の仕事では普段の生活を大切にしているかが出るかも。モノの扱いや掃除、どこまで目を配れるか。

・忙しい中でも数分で出来ることはやってしまった方が良い。やらないといけない事はホコリのように積み重なって余計に大変になる。

・布団はしっかりと畳む方がいい、まあ気分の問題だけど。

・普段の生活を大切にしている事は個人の幸せにそれなりに大切。モノはしまう、掃除する、ゴミは捨てる、飲んだペットボトルはすぐに捨てる、シンクのごみはためない、水回りはふき取る。

・パッと見て「あ・・・」と思う事は頭の中で考えるためのリソースを喰ってしまう。生活環境が整っているのは大切。

 

以前も似たような内容を書いていると思うけどもそれでいい、内容がかぶっても誰も困らないのでしょう。

 

『お湯が沸くまでに、満州について感じた事を書きます』

 お湯を沸かしているのでそれまでの時間で書いています。

 

満州については僕が知っている事は、昔は日本だったこと、今は中国の一部であるという事。戦後に引き上げという過酷な現実があったことである。大連、ハルピン、新京そういう地名やロシアとの隣国であること。

 

 図書館にてノスタルジックジャーニー満州というDVDを見つけてみることにしました。全3巻で構成されています。

その映像資料には僕の想像していた満州の姿とはかけ離れたものが広がっていました。どういう点がかけ離れていたかというと、予想していた文化レベルのはるか上を言っていました。大きな道路、キレイな建物、産業や観光と言ったモノが発展していました。

 

 そう、僕の想像ではもっと貧しくて少し文化の遅れた所を想像していました。実際に映像を見てもらえるとこの感覚が少し共有できるかもしれません。ただ、戦前、戦後といっても技術も文化もしっかりと発展していて正直なところ今の世界や日本と同等かそれ以上だったのかもしれないと考えを改めさせられました。

 

 確かに今はパソコン、スマートフォンの普及ですごく生活が進歩しているように感じますが、大したことではないのかもしれないと少し思うところがあります。今の高齢の方も同じような文化の発展を体験していると思うと、僕たちの文化の発展はすごく滑稽に見えてしまうのかもしれません。

 

お湯が沸く前にと書き始めましたが、10分位超過してしまいました。お湯は沸かし直しです。文章を短時間で書くのも簡単ではありませんね。

 

 

 

 

『時間は節約するのではなく大切に使う』

 「時短をして節約できた時間で○○をする。」こういう言葉に何となく流されていたように思います。時短のためになる事は無いのかと必死に探すために時間を使ってしまう事もある。だったら一つの事をやる時間を大切にした方が良いのではないかと考えるようになりました。

 

 洗濯ものをちゃんと干して、ちゃんと畳む、タンスにしまう。当たり前のように思えるけどもしっかりとやると時間はかかります。時短のためにハンガーのままにしようという事もあるかもしれませんが、そのちょっと節約できた時間で何が出来るのかという事です。丁寧に畳むだけでも何となく心も落ち着きます。家族がいれば一緒に畳む、何かを共同でやる事で時間を大切に使えます。

 

 正直なはなし面倒なことです。できればやりたくないし、他にもやりたいことはある。そこはグッとこらえてやってみる、回数を重ねるとやる事が習慣になります。選択の時間が大切な時間になります。

 

 時間をどうするかは人それぞれです。個人個人にあった時間との向き合い方を見つけられるといいですね。