介護士の本音と日常

41歳が考えた事、感じた事を書くだけです。なにか発見があるかもしれない。

『また、書こうと思った事を忘れたので書いたら思い出すかも』

 お風呂に入りながらふと思った事があったんだけど…なんだったっけ。仕事の事?プライベートの事?思い出せない。

 

 今日も仕事で、明日からは珍しく2連休になった。新しい仕事場についてから2か月目で初めての連休だよな。

 

 仕事は色々な人がそれぞれの音を奏でて、和音になるかもしれないし、不協和音になるかもしれない。3人が1台づつ別のピアノに座って好きな音を鳴らすようなもの。もしかしたら綺麗な和音がなるかもしれないし、不協和音かもしれない。そういう事。

 

 仕事の事だと、介護の仕事は昔のルールで今の仕事の時間を換算しているから人員が足りなくなるとか。

 

 介護の仕事で事故の検証も勝手にこうだろうと決めつけて検証してしまうよりは、こうなっていたという事実だけを大切にした方が、決めつけた事実で枠が狭まる事が無い。

 

 電車に乗っていて思ったのは、10年前まではスマホをいじっている人に違和感を感じていたけど、全く違和感が無くなった事。逆に新聞を読んでいる方に違和感を感じたりする。

 

 コーヒーショップでみるビジネスマンが複数の携帯を使っていて、さらにパソコンも使っている。まるでスマホに操られているような感じだった。

 

 スマホで色々と記憶させているようだけど、アプリとかいろいろとあって覚える事が多すぎて必要なことに50%位しか頭の容量を使えてないんじゃないかって感じた。

 

 こんな感じだったかな。電車では小人の冒険シリーズを読めたからいいか。あそうか、小人の冒険が書かれた時代の人にとっての冒険は日常の中にあった、今の冒険というのはもっと別の場所にしかないと思い込んでいるのかもしれない。

 

 決めるという事、自己肯定感、自己選択。自分自身で「今日は早く寝る。ゲームをしないで寝る」という決断でもいい。たいそうな事を決断しなくても日々の中でも十分に自己肯定感のようなモノも得られる。何だか自己肯定感という表現にも違和感を感じるようになってはいるけどね。

 

 「今日は自分のしたいことを何もできていない」本当にそうなのか、自分で決めてトイレに行ったし、ご飯も食べた、会社に行った、休憩をした。結局は自分のしたいようにしている。モノは考え方しだいかもしれない。

 

 色々と考えたみたいです。思い出したのはこれくらいかな。